2020.02.24 VMAN にインタビュー記事掲載
AARON TVEIT KNOWS NO LIMITS
The versatile actor currently stars in Alex Timbers’ Moulin Rouge! The Musical.
多才な俳優は現在、アレックス・ティンバーズのムーランルージュ! ザ・ミュージカルで主演しています。
February 24, 2020
PHOTOGRAPHY: ERIK LEE SNYDER
STYLING: ARYEH LAPPIN
TEXT: DANIA CURVY
俳優のアーロン・トヴェイトは、恐れずにあらゆるメディアで舞台芸術を探求しています。彼の多様なプロジェクトのいくつかを挙げれば、テレビシリーズ「BrainDead」でギャレス・リッターとして出演し 、キャロル・モーリーの映画「Out of Blue」でトニー・シルヴェロを演じています。しかし今はブロードウェイのアル・ヒルシュフェルトシアターに腰を落ち着けて、アレックス・ティンバーズの 「ムーランルージュ!ザ・ミュージカル」で 、無垢なアメリカ人の作曲家クリスチャンを体現しています 。 バズ・ラーマンの革新的な映画に、ステージで優れたキャストと共に命を吹き込むトヴェイトは、現代音楽のマッシュアップに裏打ちされた壮麗さとロマンスの世界をいきいきと描きます。 運命が主に偶然に委ねられている業界で驚くべき活躍をしている36歳の俳優は、さまざまな立場で新しい役を演じることにすっかり慣れているようです。 「今から10年後に何が欲しいかと聞かれたら、テレビ番組、映画、演劇、ミュージカル、ブロードウェイをもっとやりたいと思うでしょう」とトヴェイトは説明します 。 VMAN は、多くのキャリアゴールと前例のないカリスマ性を備えた意志の強いパフォーマンスアーティストと一緒に座って、初期のパフォーマンス、劇場での成長、そしてもちろん彼のお気に入りの本について語りました。
VMAN: ブロードウェイでクリスチャン役になる前から『ムーランルージュ!』のファンでしたか ?
Aaron Tveit: この映画が公開されたときから大ファンでした。大学1年生のときに公開されたんですが、僕はその頃声楽を学んでいました。高校で演劇をやっていて、大学で音楽を学んでいたんです。自分が演技をしたいのは分かっていましたが、どの道に進んだらいいかよく分かっていませんでした。当時はGleeよりも前、新しいミュージカル映画が復活する前のことでしたから。
劇場でとてつもなく素晴らしい壮観な映画を見る、というアイディアには本当に感銘を受けました。バズ・ラーマンの手法は信じられないほど素晴らしい。今までにそんなものは見たこともなかったので、強い印象を受けました。僕は『ロミオとジュリエット』や『Strictly Ballroom(邦題『ダンシング・ヒーロー』)』の時からすでに彼の大ファンでした。これは素晴らしいステージミュージカルになるといつも思っていました。世界観がすでに作られているおかげで、とても自然な組み合わせのひとつのように思いました。だから、これが企画されていると聞き、アレックス・ティンバーズ、ソニア・テイエ、ジョン・ローガンといったクリエイティブチームが関わっていることを知って、彼らに会うために中に入って見てもらうチャンスに飛びついたんです。
V: 最近、テレビや映画でとても忙しかったようですが、 劇場に戻ることをどう感じますか?
AT:主にテレビや映画の仕事をしていて、ブロードウェイのショーから離れて8年になります。新しいミュージカルをつくるのは本当に難しいです。もしそれに挑戦し、観客を見つけたとしても、人々が「受け取ってくれる」かどうかわからない。他の成功した作品に出たことはありますが、こんなことはありませんでした。最初から、観客の反応がこれまでのショーとはまったく違うんです。それは、このショーに出てくる音楽がこの物語をよく知っている人たちにアピールするだけでなく、必ずしもブロードウェイのファンではない人たちにも楽しんでもらえるようになっているからです。このようなユニークな組み合わせがあるからこそ、人々は本当に受け取って、反応してくれるんです。
V: 生い立ちについて少し教えてもらえますか? あなたは劇場中心の家庭で育ったんですか? あなたの両親は俳優でしたか?
AT:僕が育ったのは、ニューヨークから1時間ほど離れたハドソンバレーです。当時は関わっていることが多ければ多いほど、大学への出願に有利になると言われました。 だから3つのスポーツをやっていたし、スポーツをする生徒はみんな毎年ミュージカルもやる高校に通っていました。 高校では年に一度、スクールミュージカルをやっていましたが、子どもの頃はそれが唯一の演劇のバックグラウンドでした。歌ったり楽器を演奏したりはしていましたが、学校ではスポーツや学業に重点を置いていました。高校2年と3年の時にボイスレッスンを受け始めて、少しずつ本格的になってきました。そしてふとした思いつきで、ビジネスの学校ではなく音楽の学校に行くことになりました。その選択を両親が応援してくれたことがとてもラッキーで、そこから全てが始まりました。
父が歌ったり、弟が歌ったりはしますが、プロとしての活動はしていません。家族に俳優はいません。母は特別支援学校の先生でしたが、僕の音楽活動や挑戦したいと思っていることには、いつもとてもとても協力的でした。
V: あなたはビジネススクールよりミュージカルを選んだと言いました。 「わかった、これが自分の人生でやるべきことだ」というような瞬間がありましたか?
AT:親が「自分のやりたいことを勉強してきなさい、私たちが何とかするから」と言ってくれたのは本当にラッキーでした。大学1年の3分の2くらいまで来た時、ビジネス系の大学に再受験しようかと思っていたんです。春休みに家に帰った時に、親に「どうしたの?ひどく落ち込んでるみたい。そんな様子は見たことがない」と言われて、音楽学校に行ったのは大きな間違いだったと思ってる、と言ったんです。「大学のミュージカル演劇プログラムの最後のオーディションを受けてみたいんだ」と打ち明けました。すると両親は「そう、何がストレスなの?遠慮せずに行きなさい」と言ったんです。僕は「それはやめておけ」とか 「それは無理だ」とか「それは賢い選択じゃない」とか言われるんじゃないかと心配していました。でも、両親はその代わりに「あなたは18歳で、一文無しでしょう。5年やってみなさい。23歳で一文無しでも、少なくとも挑戦はしたってことだよ」と言ってくれました。それが二人の態度でした。そして僕が学校の演劇プログラムのオーディションを受けるように支援し、後押ししてくれたんです。そうして僕は合格し、1年半後には『RENT』の全国ツアーに出演し、働き始めました。あれは本当に型破りでしたね。
V: 青年期に特に刺激を受けた人や尊敬した人はいましたか?
AT:前にも言いましたが、高校のコーラスと演劇に毎年参加していました。グレッグ・ベネットという素晴らしい音楽の先生がいて、高校3年生になる前に「本気でやりたいなら、ボイスレッスンを受けることを考えた方がいい」と言ってくれました。僕にとって間違いなく必要な後押しで、最適な時でした。高校時代、彼は確実に僕の背中をその方向に押してくれた人でした。そして仕事を始めてからは、キャスティング・ディレクターたちとの関係を早くから築いてきたのですが、彼らは僕を本当に、本当に助けてくれました。バーニー・テルシーとタラ・ルービンです。彼らは僕がrepresentation(代表?担当マネージャー?)を見つけるのを手伝ってくれました。そして、信じられないくらい素晴らしいマネージャーと代表者に出会い、16年間一緒に仕事をしています。彼らのおかげで、僕は早い段階でそのような場所に身を置くことができました。
V: あなたが『RENT』に抜擢された時—その時あなたはシティに引っ越したのですか? そのスイッチはあなたにとってどんな感じでしたか?
AT:ああ、その頃僕は大学に通っていました。当時のレントの音楽監督はイサカの卒業生で、僕たちにワークショップの授業をするためにやってきたんです。僕たちは全員彼と模擬の"RENT"のオーディション体験をして、その後、彼は僕をそばに呼んで言ったんです。「ねえ、君はこのショーにぴったりだ。連絡先をもらえるかい」。その頃僕は「現実の世界」の誰とも連絡を取ったりするような経験がなかったので、何も考えずに「ええもちろん。これです!」みたいなことを言いました。それから2か月後、彼は「この役の最終的面接に君を呼べるよ」と電話をくれたんです。僕は「わかりました」と答え、結局のところ合格したんです。そして1年間のツアーに出ました。そのショーに出て1年間巡業した後、1学期だけ大学に戻りました。その年は4年生になるはずでしたが、1年休学していたので、まだ3年生でした。その年の終わりには、大学を卒業するために戻って来ないで、フルタイムでニューヨークに引っ越そうと思いました。
その夏に、別の信じられない状況が起きていたんです。僕はヘアスプレーの全国ツアーのキャストになることができて、1年間巡業しました。そのツアーが終了すると僕はブロードウェイに来て、ヘアスプレーの同じ役でブロードウェイデビューを果たしました。それが2005年から2006年の初めにニューヨークに来た理由です。ニューヨークに住む前に、すでに2年間ツアーを経験していました。週に8回のショーを行い、困難にめげずに生きる方法を理解し、巡業の公演中に最初の経験を積むことができたんです。これは素晴らしいことでした。
V: そのようなツアーでの生活について教えてください。大変でしたか? その間、どんな犠牲を払わなければなりませんでしたか?
AT:そうですね、今ではどうやったのか想像もつきませんが、20歳でー僕はもうすぐ21歳になる頃でしたー俳優になりたかった。ほんの3年前、高校生の時に"RENT"を見て心を奪われ、そして突然その中に入っていたんです!僕はキャストの中でも一番年下で、本当に素晴らしいキャストの人たちの中にいたんです。みんな学校を出て最初の大きな仕事で、僕は週8回のショーで自分の健康を保ち、やる気を保って、毎晩同じ物語を語る方法を早く学ばなければなりませんでした。幸いなことに、僕の周りには見て学べる素晴らしいお手本となる人たちがいたんです。
僕は2人の主役の代役をしていたので、その役を演じている素晴らしい人たちを見ることができました。それからヘアスプレーのツアーに参加して主役を演じることになったのですが、その準備はできていると感じました。もうこのことを別の仕事で1年間やっていたからです。
そこもまた、本当に素晴らしい人たちの集まりでした。それが僕にとって重要なポイントだったと思います。当時、他のツアーに参加していた友人がいたのですが、そのグループは必ずしも素晴らしい人の集まりではなかったので、その経験は本当に難しいものでした。僕が行ったどちらのショーもツアーも、僕たちはみんなあっという間に友達になって、ほとんど旅先での家族のようになっていました。とても居心地が良くて、ホームシックになったり、場違いな感じがする日はあまりなかったんです。その代わり、それはまるで... 僕は21歳で、2年間で50州のうち46州に行きました。他にいつこんなチャンスがあるでしょうか?
V: テレビに出演することについて少し話しましょう。その切り替えはどうでしたか? あなたにとって難しかったですか? 劇場よりも好きですか?
AT: そうですね、テレビは、 もしあなたが、特にニューヨークで撮影されるテレビドラマのシリーズレギュラーならば、数年前にCBSの「BrainDead」でやらせてもらったことがあるのですが、これまでで一番、俳優として普通の人と同じように感じられます。スケジュールは月曜日から金曜日までと決まっていますから。すべての休日は休みだし、毎週末、週末があります。 だから長時間労働でも普通の人と同じ感覚でいられるんです。そのスケジュールで友達や家族に会うことが多くなりました。 1日14時間も撮影現場にいることもあるしどうやって管理するかは考えないとなりません。その点で僕はテレビが好きです。
ショーや演劇に出るということは、声の調子を整え、健康を維持して週に8回舞台に立つために、大きな犠牲を払わなければならないということです。騒がしいレストランやバーに遅くまで出かけるわけにはいきません。そういう空間で話すのは声にとてもよくないからです。健康を維持することにコミットしなければなりません。
その点ではテレビもいいのですが、犠牲を払ってでも劇場がいいのは、毎晩、観客と素晴らしいやりとりができるからです。これはテレビや映画では得られないことです。
V: どちらのほうが好きですか?
劇場は最高だと思います。それは最も難しいことですが、最も多くのことを得ることができ、最もやりがいがあります。でも、グレイスランドに出演した3年間は、信じられないほどのキャストと共演できたので、とてもラッキーでした。
これまでのテレビの仕事はどれも素晴らしいものだったし、今ではテレビや映画の仕事をするのも、舞台に立つのと同じくらい好きです。最初の仕事を得るまでには、何年も技術を勉強してきました。今でも、舞台の上でこの芝居をしている間にも、映像表現のクラスを受けています。その技術と映像での演技は、正直言って、歌うことや舞台に立つことが好きなのと同じくらい好きになりました。
V: 現在、あなたはまだ『 ムーランルージュ!』に関わっていますが 、その後について、話せるプロジェクトはありますか?
今のところはこんな感じですね。 僕たちはここで1年から1年ちょっとの期間を過ごしますが、おそらくそれ以上の期間になると思います。これが今のところの主な仕事で、次に何をするか、具体的に言えるものはありませんが、もっとテレビや映画をやりたいと思っています。
今のところはこれに専念していて、これは良い変化です。僕は大抵、複数のことを同時進行していますから。 テレビドラマに出演していても、休止中に映画に出たり、休止中に舞台に出たり、自分の音楽のコンサートを開いたりということが常に起こっています。
僕にとっては、一つのことをするだけの1年というのは実はとてもいいことなんです。
V: 職業上の目標、個人的な目標にはどのような見通しがありますか?
AT:僕はとても幸運でした。この10年間のキャリアを振り返ってみると、テレビに出たり、映画に出たり、舞台に出たりと、自由に行き来できるようになりました。それが僕のやりたかったことなんです。様々なメディアやプロジェクトの間を自由に行き来することが。
正直なところ、それを続けていきたいと思っています。10年後の目標を聞かれたら、テレビドラマ、映画、演劇、ミュージカル、ブロードウェイをもっとやりたい。テレビでまたミュージカルをやりたいし、大好きなテレビシリーズにも出たい。僕のキャリアの中で、自由で多様性に富んだ素晴らしい仕事が続くことを心から願っています。それが本当に続けたい唯一のことで、僕がやるべきことのすべてです。
V: 世界中の誰でも選ぶことができたら、誰と仕事をしたいですか?
ああ、難しいですね! 尊敬している人たちのことだけを考えると、キリアン・マーフィーが一番好きな映画俳優です。彼と一緒に何か映画でができれば。彼はクリストファー・ノーランの映画には必ず出てきますが、クリストファー・ノーランは素晴らしい映画監督なので、それは偶然ではないと思います。彼と映画で一緒に仕事をしたいと思っています。舞台では、監督や俳優、ミュージシャンなど、一緒に仕事をすることができる人たちに恵まれています。ここ数年で2つのソンドハイムのショーをやることができました。次の数年で別のソンドハイムのショーに出たいと思っています。
僕はとても、とても幸運なことに恵まれています。僕が本当に尊敬している人たちは、それぞれの技術の頂点に立っています。
V: ステージにいないとき、またはステージに立つ準備をしているとき、何をしていますか? 休養時間はどうしていますか?
退屈に聞こえるかもしれませんが、眠っています。一晩に9時間か10時間の睡眠をとるようにしています。絶対におかしいと思われるだろうけど、過酷なショーのスケジュールの中で休むには、それが唯一の方法なんです。毎週、週に2回の理学療法、週に1回のカイロプラクター、週に1回のマッサージ、ボイスレッスンも受けています。基本的には、すべてのことが本当に体に負担をかけているので、回復にはかなりの時間がかかります。
自分のためには、週に2、3日ジムに通うのが好きで、体を動かしている感覚だけでいいんです。ショーに出ていない時よりもずっと少ないです。それに加えて、僕は熱心な読書家です。できれば友達に会うようにしているし、気晴らしにテレビゲームもします。
V: ああ、どんな本を読んでいるのですか?
AT:今、『A Little Life』を読んでいます。これは数年前に発売されたときに手に取ったものの、ひどく衝撃的だったんです。それをまた誰かに勧められたので、もう一度手に取って、今度は読み終えようと思っています。多くのファンタジーシリーズの再読も好きで、今はブランドン・サンダーソンの『ミストボーン』三部作の真っ最中です。毎日、脳が仕事のことを考える以外の別の場所に行ってしまうようなことをするのが好きなんです。
V: お気に入りの本はありますか?
AT: 『ゴールドフィンチ』を書いたドナ・タートの本です。彼女の『シークレット・ヒストリー(邦題:『黙約』)』という作品は、もう3、4回は読みましたが、たぶん一番好きな本の一つだと思います。ゲーム・オブ・スローンズの小説も今でも好きな本の一つです。
V: いい選択ですね! 演じたい演劇やブロードウェイのプロダクションはありますか? もし自分が完全に自分の役割にぴったり合っていると思うプロダクションがあるとしたら、それは何でしょうか?
AT: いつか『サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージ』をやりたいと思っています。あれはアメリカの演劇の中でも最も素晴らしい作品の一つだと思います。数年前に上演されたばかりなのは知っていますが、今でもいつかやってみたいと思っています。 ミュージカルというのは特に、何が起こるかわからないので、とても刺激的です。舞台での演劇もそうですね。 僕は劇作家のマーティン・マクドナーに夢中です。マーティン・マクドナーの戯曲ならいつでもやります。それらが将来的に期待していることです。
※マーティン・マクドナー:舞台「ハングメン」脚本 映画「スリー・ビルボード」監督・脚本
ERIK LEE SNYDERの撮る写真は、良い意味での色気というか、陰と陽を合わせ持つ魅力があって好きだ。
0コメント